2004.03.01 Monday
中山可穂『弱法師』
弱法師
中山 可穂
1年ぶりの可穂さんの新刊を読了。
一気に読み終えて…その研ぎ澄まされ結晶化したかのような愛の姿に、
すっかり魂を持っていかれちゃった私である。ほよ〜ん。うっとり。
人を愛することにより、人は豊かになる。そう、それは真実かもしれない。
だけど可穂さんが描く愛とは、愛することにより自身の身を切り、
血が噴きだすような激しい愛だ。
待ちに待った新刊は、能をモチーフにしているせいか、今までのお話とは少し違う。
運命のひとりの相手との、永遠に終わらない愛、
狂おしいほどに激しい愛の姿を描いてはいるが、それはあくまでも片思い。
願うようには受け止められず、報われないゆえ純粋な3つの愛の姿が、
切々と描かれているのだ。
そして3編とも、作品全体を死の影が色濃く覆っているのもポイント。
弱法師
可穂さんには珍しい男同士の同性の愛。
描き方こそ違うが、まるでいにしえの“耽美小説”のようで、ちょっと驚く。
(美しい息子へ過剰な愛情を抱く義父。ぢつは息子も義父を愛していて…とか)
行く手にある死がくっきりと見えるからこそ、いっそう激しく深まる愛。
しかしよくよく読むと、鷹之と朔也の愛では、愛の種類が違うのに気づく。
「ぼくは朔也のことが好きだ」そう口走るものの、
決して朔也が望むような愛ではなくて。。。
鷹之の視点で物語が語られるのだが、ふとした拍子に表れる鷹之へ向かう
朔也のひたむきな愛が…切なくて切なくてたまらない。
(なんて鈍いんだ!この男は!!ぷんすか)
朔也の病気はどうなるのか?朔也の愛の行方は?
張り詰めた空気のまま、物語は進む。そして。。。
「永遠」に繋ぎとめるため、愛に殉じたのだろうか。
純粋な想いに切々と胸を打たれる。
絵画のように静かで美しいラストシーンが、とても印象的だった。
卒塔婆小町
小野小町と深草少将の伝説を下敷きにしている能の「卒塔婆小町」が
ベースになっているのだが、可穂さんらしい解釈が施されているのがポイント。
可穂版小町では、百合子が深町の愛を受け入れないのは傲慢ゆえではなく、
自らのセクシュアリティゆえ、なのである。
いくら愛されてもそのセクシュアリティゆえ、捧げられる愛を拒絶する百合子。
いくら愛しても男ゆえ、愛を受け入れてもらえない深町。
決して重なり合うことはないと分かっていても、
残酷な美しいミューズへの愛のために、愛の証の百篇の短編を
命を削りながら捧げ続ける深町の姿に、胸が熱くなる。
(百合子へ宛てた深町の手紙がまたいい。その美しさに、またまた胸が熱くなる)
愛を拒絶しながらも編集者としての立場ゆえ、
作品を書かせなければならないという大きな矛盾。
矛盾を自覚し、心を痛めつつも、そうさせずにはいられない業の深さを抱える
百合子に、どうしても心惹かれてしまう。
(作家深町にも編集者百合子にも、可穂さんが投影されているんじゃないかな?)
最初から破たんが透けてみえる愛。けれど、求める愛とは違う形ながらも
百合子と深町という二人の孤高の魂同士が共鳴し合って、
どこか深いところで、固く結ばれていたように思えてならない。
かなわない愛の切なさ、純粋さゆえに、とても美しい作品である。
浮舟
いかにも可穂さんらしい作品かも。薫大将と匂宮の2人に言い寄られる
浮舟の物語を、舞台をごく自然に現代の鎌倉へと移して
“娘から見た両親たちの秘め事”として描いた作品。
すべてを知り、母親もまた生身の女であったと気づくシーン
ふたりのきょうだいに熱烈に愛され続け、からだを引き裂かれ続けるにひとしい母の人生の苛烈さを、私はようやく思い知ったのである (p.277)胸が思わず熱くなる。
娘として母親の生を理解し肯定すること。それは同時に自分をも肯定することで。
碧生の人生にこれから先、ただ1人の人を一生かけて馬鹿みたいに愛せる愛が
訪れるのだろうかと、ふと思いを馳せてしまった。
愛し続けることの深い悲しみと喜びを内に秘めながら、
ひたむきな愛を注ぎつづけるハンサムな薫子さんがイチオシ(*^^*)
3編のうちでは「卒塔婆小町」「浮舟」が好き。
収録された3編それぞれ、中山可穂だからこそ、彼女しか書けない作品だと思う。中編にも係わらず、長編を読んだ後のようなずっしりした重量感を感じる。
はぁ。百聞は一見にしかず。
ぜひ小説を読んで可穂さん描く愛の世界に、魂を浮遊させていただきたい。
それにしても。感じた事を言葉にして表現するのは、なんと難しいんだろう。
心が打ち震えた小説の素晴らしさを、半分も言い表せていない気がする(涙)。
(可穂さんの小説を読んだ直後は
「ああ、私もこんな風な恋がしてみたい!」
と思うけど、実際、血が噴きだすような激しい愛に魂も身体も翻弄されるのは
シンドそう。軟弱モノの私は、パス。可穂さんの小説さえあればいいわ^^;)