思い出すんだ。失くしてしまった、「本当の物語」を。
消された名前、チョコレート・ケーキ、闇金融、かみのけ座、殺人、奇妙な機械……優しく残酷に侵食されてゆく現実の果てに、僕は何を見る? 『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極の幻想ミステリ!
物語の始まりは、新聞の片隅に載ったある老人の路上死だった。
日常に溢れている死の一つに過ぎない死が、自分にとって特別なものになったのは、
戸籍上では既に数十年前に死亡していた人物だったことと、
徳部という老人の名に聞き覚えがあったこと。
ちょっとした気まぐれから徳部という人物に興味を抱き、身辺を探りだす主人公島津。
探り始める内に、不可解な事件に巻き込まれていく。
私にとって、無防備に無邪気に読んだことを、激しく激しく後悔した作品でした。
この作品、ミステリ仕掛けではあるものの、まごうかたなき幻想小説なのだ。
徳部という人物の謎を追うミステリ部分にばかり気をとられていた私は、
まさに「木を見て森を見ない」状態(汗)。
結末を予感させるピースがちゃんと物語にははめ込まれていたのに、
不可解だと心に留めながらも、さほど重要だとは思わなかったのが致命的。
バタバタと物語が収斂していく後半、やっと物語世界の全貌が明らかにされて
「えええええええええ?そうなってたの!」
ただ唖然呆然。
読み終えた直後は頭の中で整理がつかず、パニック状態に(汗)。
記憶の悪戯。「私」だと認識している「私」は、本当に「私」なのか。
「私」の存在のあやふやさ。自己存在の不安。
見慣れた現実が、じわじわ侵食された挙句に
まったく別の新しい姿へと変容する様子は、ただただ恐怖。
と同時に、夢の中の夢から覚めて、また別の夢に眠るかのような
不可思議な浮遊感と幻惑感をも味わいましたけど。
あまりにも緻密かつ繊細に織り上げられている作品なので、
もう一回、最初から丹念に読んでみたい誘惑に駆られます。
初読の時は、筋を追うのだけで精一杯。
体の中から湧き上がってくる熱い衝動に身を委ねながら
作品世界に耽溺することが残念ながらできなかったけれど、
筋を追う必要がない2回目以降の読書ならば、気持ち良く酔えそうです。
私にとってこの作品、遅効性の甘美なる毒なのかもしれません。